いつの間にかご主人様と呼ばれ…だがM女には、表には出さない気持ちがある。 心の中で思う事もたくさんある。 私が不器用なのか…S男としての…誰にも言わない、明かしていない心をふと書こうと思った。


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甘い味と苦い味…

■Mail to 管理者■

いつの間にかSMを味わい
いつの間にか…
“甘味と苦味”を
知ったように思うのです。

ただの愛欲か…
愛情表現か…
ただの変態的な行為か…

私には…『魔法の鍵 』
閉じられた扉を開き
繋がれた鎖を解き放って
あげられた鍵…

冷たく暗い場所から暖かい場所へと通してあげれた
魔法の鍵なのです。。。

■Mail to 管理者■


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『主の価値…深海にいるM女』

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『Mかどうかはそりゃ君すぐにゃ~判らんが…』

病を患った知人が初めて自分の“数値”を知らされた時の話を聞いた…。
『その数値“○○○”ってのは…一体どういうもんですか?』と、
軽~い気持ちで聞いたそうだ。。。
もちろんそれがどんなものか彼は全く“判らなかった”からだ。
つまり…“自分の位置”が…“自分がどういうもの”か…判らなかったのだ。

すると医者は…
『あんた何言ってるんだい!コレとんでもないコトだよ!』と…
大声で叱り今彼がいるところがどんなトコか怖~い説明をしたそうだ。
そう言われて初めて彼は『ナニ~!』っと驚き恐れ…やっとの事、
それが大変なコトだと知ったそうだ。
その検査をするまで、“自分”が…どういうものか判らなかったのだ…。
つまり…変な言い方だが
その医者と出会うまで…自分が高いのか低いのか…右か左か…前か後ろか…
自分のいた“位置”が彼は全く判らなかった。


そんな事を考えているとふと…ある光景を思い出した。海に潜った時の光景だ。
スキューバダイビングをしたコトがある人は判るかもしれないが、
ダイバーは深い海に潜ると、特に海面も見えぬほど潜り…海底さえ見えないトコロだと…
自分がどこにいるのか…どっちに向いているのか…どの位置にいるのか全く判らなくなるコトがある。

まるで暗い海の中にポツンといるような…どっちがどうか…自分がどこにいるのか…
ちょっとした事で上下すら、ふと判らなくなる。。
怖い事だが…そこで恐怖にかられると自分が何者かさえも見失い
深い水の中なのにマスクをはずしレギュレータ(酸素を吸う器具)さえも
外してしまう事もあるそうだ。 

そこで感じるのは孤独…不安…何かでも掴むものが欲しい…ここから逃げ出したい…。 
そんな感覚だろうか…。
“自分がドコにいるのか判らない”その恐怖と孤独と不安に苛まれ…
どうしたらいいか判らなくなり…末は自分がどんなものか判らなくなりかねない…
そんな空間だ…。 


その事をぼんやり考えると…
人は皆、海の中にいるのと同じかもしれないぞと思えた。

そして・・・
主と出会えず彷徨っているM女は…その身体は太陽の光を受け賑やかな人間社会にありながら
心は深海の暗い海の中に彷徨っているのと似ているのかもしれないなと…そう思えた。


冒頭の知人はその医者と出会って…やっと“自分”を知り、自分の“位置”を知った。
自分がどんなものかを知り、そして向かうべき方向さえ知った。。。

ダイバーはバディ(いっしょに潜る相棒)がいると、その相棒を見る事で孤独から開放され、安心し、
その相棒から出る泡や相棒自身を見て、自分の位置や上下左右を知る事が出来る…。 
バディがいるのといないのとでは、その安全と安心感は天と地ほどにも違いがあるといえる。。。


主を持たず深海の中を…孤独の中でもがき彷徨っているM女は…
“主”と出会う事で自分の位置を知り、自分がどういう者かを知り、どこへ行くのか、
自分がどういう価値なのかさえ知る…。
主との出会いで…その孤独と不安や自分がどこにいるのか判らない恐怖や、
自分が何者か判らなかったそんな時間から開放される(のかもしれない)…。


すると…深海でもがくM女に比べると普通の女性は…結構浅い海にいるって事か…
太陽の光が届き、その温もりを感じ周りが見え、自分の位置を見失う事があっても深海ほどではない。 孤独の苦しみも…怖さも…深海ほどではない。 (かもしれない。。)
普通の人同士の出会いは…まるで海面近くでの出会いのようで、
たとえ別れに苦しみがあったとしても…深海のように、暗く寒く寂しいその無の空間にまた戻る…
そんな怖さまでは加わらない(のかもしれない)。。。

ならばM女にとっては“主が居る、居てくれる”という事が…
他の何よりも大きく重い事になる…。

そういえば…自分の主はど~だこ~だと言ったり他の主の事をあ~だこ~だと言っていた女性を以前目にした事があったけれど…(笑) もしかしたらその人達は主の価値を…見た目や経験(?)や技術(?)やなんだかんだで見て比べたのではあろうが… それは“その主がいる事”の重さをつい忘れ…そこが深海だというのをも少し忘れてしまったのかもしれないぞと思えた。
ちょっと笑えた。。。(笑) 

もし貴方が太陽の光を浴び賑やかさに囲まれていても
心はまるで深い海にいるようなそんな感覚を感じるなら…
貴方には主が必要なのかもしれない。
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by nodandy | 2007-07-02 17:48 | M女

『ご主人様が愛奴をいじめるのは…』

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『受け入れられる喜び!?』

しばらくの間、ブログを書きこみすることが億劫になっていた。
不器用なのかキャパシティがないのか、仕事や何かで壁を感じる時などはそちらに気がいってしまって他へ気を回す余裕がなくなってしまう…。 

なのに、自分のブログは放っておきながら…一息つく時にはエロいSMサイトなんかを鼻歌まじりに読んでいたりする…。 ストレスがいっぱいの時に見るサイトが南国の海のブログとかならば“おおっぴら”に見る事ができるがSMサイトじゃあ…やはり堂々と見れないってのがタマに傷だ(笑)。


さて、そうやって色々見て回っているうち、ふと思った事があるんだが…
SM…或いはSMらしき(?)ものをしている人はなぜかそのパートナーに“受け入れられている安心感”…というような…そんな強い喜びを感じているように思える(事が多い)…。 
こう言ってしまうと少し強引だが、それが普通の恋人関係や普通の婚姻関係よりも“より一層”『受け入れられている…』という安心感やその喜びを感じているように思える。 
もちろんSM関係の種類は主従関係を始めいろんなものがある。しかし、その全ての繋がりの根本には必ずといっていいほどその喜びや安心感が垣間見られるように思う…。 
なぜだろう…。


なぜだ? 


実際のところは共に喜び共に苦しみを分かち合ったごとき相手…いわゆる同じ時間を過ごし同じ釜の飯を食った者…つまり婚姻関係を過ごしている相手にこそその安心感や喜びを感じてしかるべきなのに…(もちろんそうなる事も多いが、)或いは婚姻していない恋愛関係でも、SMらしきものをしていなくても諸手を挙げて自分を受け入れてくれる優しい相手にこそそういった喜びや安心感を感じてしかるべきなのに…、なぜかSMらしきものをするパートナーの方にその“自分を受け入れてもらえている”安心感や喜びを感じていたりする。 


なぜなんだろうね…。


きっとそれには2つの理由があるんじゃないかな…。


一つは、婚姻関係や恋愛関係の中で…いつの間にか自分に課されてしまっている“役割”とか“立場”とかいう枷(カセ)が出来上がってしまってたりする。  或いは同じ時間を過ごしてきた中でそのパートナーに対して生まれた“甘え”という心地よさに囚われてしまっていて、その枠に収まりきれない“隠された自分”を出せなくなったりするものなのに…SMをする場合はそういった“枷”はほぼ無理やり剥ぎ取られるだろうし…“甘え”なんてのもその関係上では生まれにくかったりするからなんじゃないかな…
そしてもう一つは、何よりも“自分そのもの”を受け入れてもらえるから…。


もちろん、不倫や浮気でも同じようにも喜びや安心感を感じる事もあるだろう。
けれど大事なポイントはその“自分そのもの”というところにもあるように思える。


人は…人であると同時に動物であり、理性と知性があり、そして本能と本性がある。
理性や知性は時にそれが恥じらいやプライドを生み、それも枷(カセ)となってしまうが、SM…主従関係といった中では本能や本性といえる性的な行為も当然のように(?)あけっぴろげにされ、理性や知性では否定されがちな部分も含んだ“ありのままの自分”に目を背けられることなく逆にちゃんと目を向けられて…そういった枷(カセ)は時には優しくだろうが時には強引にも取り外されてしまう(事が多い…)。


例え強引ではあってもその理性や知性という“枷”を取り去られ“そのままの自分”を曝け出さされ、その曝け出された“ありのままの自分”を受け入れられるからこそ…“より一層の喜びや安心感”を感じられる。。。
…のかもしれない…。



さて…どうだろうか…。
ご主人様に役割があるとすればきっとそういうものかも…

そう考える事はまるで自分の大事なパートナーにいやらしい事や“意地悪”をするその意地悪自体を無理やり正当化しているようにも思えてしまうから困ってしまう…。

一つ言える事は…
例え私が貴方に意地悪をしても、その意地悪は貴方への愛情からだという事だ…。



…なんて言うと…
ますます自分を正当化してるように思える(笑)
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by nodandy | 2007-06-15 13:54 | 心の殻

馬と乗り手と、SとMの主従関係

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『馬と乗り手と…SとMの主従関係』

馬に乗った事がある。
『乗った事があるか?』と経験を聞かれたが、『ある。』と嘘をついて参加した。
そう言わないとそのツアーは参加させて貰えなかったからだった。
馬に乗った事なんてもちろん無かったどころか…馬をちゃんと目の前で見た事さえも初めてだったが…それは内緒だ(笑)。 

初めて見る馬はあまりにデカく…乗る時が一番緊張したが、いかにも乗り慣れたような人達が何人かいてその人達がサッサと馬に乗るのを見てそれを真似て“オレも簡単に乗れるよ~”的に振舞って(実際はそう振舞えてたかどうかは判らんが…汗)なんとか馬の鞍に乗る事ができた。  もちろんよくあるように“あっ!お尻の方を向いて乗ってしまった!”なんて事はしないで済んだ(笑)

後は“ジョン・ウェイン”を思い出し…、或いは周りの人を真似たりいろいろ試したらなんとかなった。  ツアー参加者は全部で12~13人くらい。 12~13頭くらいの騎馬集団がテクテクとそうやって山に向かったわけだ。 初心者はどうやら私だけで無い事が10分ほどすると判ってきた。 

それは私を含め5~6人の乗り手が馬にナメられているのが判ったからだ。
そう、馬は乗り手を見る…。 “お…この人だったら自由にしていいかな…”と、馬が乗り手に対して感じると馬は好き勝手に振舞いだすんだ。
例えば…勝手に立ち止まって道端の草を食べたり(笑) 小さな沢に流れる水を勝手に飲み始めたり(笑)  私も最初はそうされた(笑)。


そんな時はそうさせないように手綱を引くんだが、手綱はいわゆるSMプレイで使う“鼻フック”みたいなものが唇についてるようなもので、馬にとってもかなり痛いものらしい。 
今思うとホントにSMプレイだ(笑)。
手綱を引くといかにも“口の肉を引っ張ってる”ってのが判るから痛そうに思えて中々引けなかったりするんだ。

で、中途半端にまるで頼りな~い爺さんのように『これこれ~、イケナイよ~~(ヨボヨボ)』という感じでいかにも頼りなさげに手綱を引いたり、『そんな事したらダメ…なんじゃない…かな~』なんてしていると馬は『ハハ~ン、こいつならオレは自由に出来るな(ニヤリ)』と感じ取って自由に振舞いだすという訳だ。 

そのうち、馬の横柄さも大きくなっていってそんな調子で更に頼りなげに手綱を引いてると『痛ってえんだよ!何すんだよ!オレは草が食いて~んだよ~このヤロー!』てな感じで首を振って反抗してきたりするんだ(笑)
馬も“我”を出してくる(笑)


そこで馬をじっくり見た…、馬は乗り手を伺ってるんだよ(笑)。 
耳を乗り手(私)の方へ向け、時々“コソッ”っと見てたりもする。 様子を見てるんだ(笑)。
乗ってるヤツがどんなヤツか伺ってる(笑)。
聞いた話だが、鞍にどんな風に乗ってるか…オドオドしてるかどうかでも背中で“乗り手”を感じて判断してるそうだ(笑)  で…“こいつなら…大丈夫^^”と思うと“ちょっとづつ”横柄さを出すという訳だ(笑)。 


“舐めてるなコイツ…”と判ったら無性にハラがたってきて…というよりも
“S心”が刺激されてしまって、『よし、どっちが“主”か判らせてやる。』などと思い、以後は『たわけー!』 『ウツケ者~!』と、なぜだか日本語の…それもなぜかサムライ言葉で(笑)織田信長が如く叱り付けながらビシバシとイカン事にはイカンと手綱をしっかりと引くようにした。
すると、馬はちゃんという事を聞いてくるようになってきた。 

『こいつは罰を与えやがる…』、『こいつは逆らうと痛い目を見るぞ…』と感じると最初馬はドキドキ緊張するんだが、そのうち『コイツはムヤミやたらに痛みつけるってワケじゃないな…。』と判ってくると、少しづつ安心するようになり…そのうちこっちが毅然としていると自分のいわゆる“身の振り方”が決まってより一層安心してくれるのか信頼さえしてくれるようになる。 そうなるとさっきより落ち着いて従順に従ってくれるようになるんだ。 
こちらに“気持ちのブレ”がなくなると相手にも“気持ちのブレ”がなくなる。
判るかな…。


不思議なもんで
馬と…いわゆる“気のせめぎ合い”をする。 そう、まさに“せめぎ合い”だ。 
そんな感じで“立場”の主導権の取り合いの後、『行け!』『止まれ!』『あっちだ』『こっちだ』『そちらじゃない』と、正しい操馬方法じゃないかもしれないが(笑)、自分なりに作った決まりごと続けると馬はそれに従ってくれるようになり、その決まりごとが定着すると馬は安心してくれる。 そうなるとこっちも嬉しい。 その嬉しい気持ちを『よ~し、いい子だお前^^いい子だ!』と伝えると馬もそれを感じて安心し、そのうちそれを喜んでくれるようになるのが判る。 
そうなってやっとこさ“こいつカワイイ!”と心からそう思えた。


目的地に着き馬から下りたが、そこは野生のマンゴーの実がなる森で、そこでは“馬と乗り手の関係”にそれぞれはっきりと違いに出た。 
ガイドはカウボーイだが、その馬はロボットのように柔順に指示があるまで決して動かなかった。 木になるマンゴーを勝手に食べ始める馬も多くいた。 面白いもので“主”があっち向いてる隙に『今なら判らないかな…』っと、“コソ~”っと目を盗んでマンゴを食べる馬もいる(笑)。 


その中で私が乗った馬は直接マンゴーに行かずに“ね~、食べていい?食べていい?”と言うように、まず私の所へ控えめに擦り寄ってきてヨダレを垂らしながら顔を擦り付けてきた(笑)。 嬉しかったね、それは…。  だから木になるマンゴを私が手にとってそれを馬と私とで交互に順番に食べた。 馬は私の手元をじっと見ててちゃんと待ってるからとても可愛いんだ(笑)。 そしてそのマンゴーの甘くて美味かった事といったらありゃしない。 不思議なんだがその馬はその後もずっと私のすぐ傍にくっついてきてくれるから嬉しくてたくさん撫でてやった。 充分その馬と遊んだ後、その後はカウボーイコーヒー(?)なるものを頂いて帰る事になったが、帰りは道も知れたものだし“パカラパカラッ”と馬を走らせたりして楽しい一日は終わった。


不思議なんだが人と人の間でも『“気”のせめぎあい』というのがある。
男同士でもあるし、知人同士でも友人同士でもある。そしてなぜか男女の関係には確実にある。  
上司と部下の関係でもそれはある。 時には部下が上司の“気”を制する事もある。
その関係性もあのマンゴーの森で見たそれぞれの馬と乗り手のようにいろんなモノがある。
あの馬を通して得た経験がとても役に立っているのは間違いないように思うが…もちろんそれはM女との関係でも生きているのかもしれない(笑)。 

そこまで考えて“はは~ん、だから私はSMらしきものが好きなのか…”と、ふと思ってしまった。 “馬に乗りたいな…”という気持ちがあるのになにぶん都会では馬に乗ることができない…から…?


さて…どうだろう(笑)
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by nodandy | 2007-05-20 17:03 | ご主人様の心の中